熊を退治するときに、必ず出しゃばってくるのが、「熊が可哀そうな人たち」です。
その裾野は広く、自然保護団体や動物愛護団体ばかりか、世界中で愛される「くまのプーさん」フリークの人たちまで、多岐にわたっています。さらに、その「熊が可哀そうな人たち」の抗議を利用して、観光推進を目論む行政が入り、現場はカオスな状態です。行政に要請され熊退治に向かった猟師の、狩猟ライセンスを後から剥奪するという、背信行為を平気で行う。
まさに、カオスの極みといった感じです。この「熊が可哀そうな人たち」のほとんどは、都会の安全な家の中で、スマホを弄っている人たちです。
つまり、自分は絶対に襲われない「安全な場所」から、ただ叫んでいるにすぎません。彼らの主張は「昔のように、自然と向き合える世界が良い」ということですが、歴史の事実は違います。
昔の山は、ほとんどが「はげ山」でした。人々の生活に必要な、焚き火の薪を供給していたのが山であり、今ほど自然豊かな山ではなかったのです。そして当時、熊鍋は大変なごちそうであり、過酷な時代を生きる、民衆の力の糧となるものでした。
そう考えると、彼らの言う「昔のように」を本当に実現するなら、熊を「可哀そう」と憐れむのをやめ、命に感謝して「いただきます」といただく。
その精神に、考えを変えることではないでしょうか。






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